コミュニケーション能力≠万能である

最近は最初に結論を書くのがマナーのようなので結論から。

1、コミュニケーション能力=理解する力+伝える力

2、社会(≒会社)が本当に要求しているのはコミュニケーション能力ではなく、事務能力

ではひとつめから。

コミュニケーション能力が何よりも大事と叫ばれて久しい。私もそう思って生きてきた。

にもかかわらず、相変わらずこの言葉は定義されていない。「コミュニケーション能力が重要⇒コミュニケーション能力という言葉が定義されていないので、この言説は曖昧です」というやりとりはネット上に散見される。

なので、本稿ではこの言葉を定義する。コミュニケーション能力=理解する力+伝える力。すなわち、相手の言いたいことを理解した上で、自分の伝えたいことをしっかり相手に伝える力。この2つが備わっていると、人間関係での苦労は減る。私がこれまで大勢見てきた「この人はコミュニケーション能力が高いなあ」という人は、この両者の力を持っていた。

このへんで反論が来るかもしれない。「そんな単純なものではない」。それはそうかもしれない。ただ、正直なところ、物事を複雑にとらえたがる人々こそが、生きることを複雑にしていると私は感じている。彼らは「そんな単純ではない」と言った後思考停止する。どのように複雑かを説明してはくれない。

彼らが望んでいるのは、「物事を曖昧なままにしておきたい」ということである。彼らは何故そう望むのか。それは、彼らがたとえば「コミュニケーション能力と呼ばれる何か」についてそれほど苦労していないからである。そして、彼らはその「何か」を言語化できていないからである。平たく言えば、なんとなくできている。だから彼らは、その何かが言語化されることを恐れる。曖昧なままにしておけば、それは彼らの専売特許のままで残る。彼らはそれを望んでいる。

あらゆる概念は、人々が平易に理解できるようになると、その価値を失う。火を起こす技術、冬の次には春が来るという事実。これらが曖昧であった時代、この理屈を理解している人間は他者の称賛を得ることができた。そして誰もがその理屈を理解するにつれて、そのことを理解しているだけでは食べていけない世の中になっていった。この構造は今も変わらない。

コミュニケーション能力とは何か。そろそろ我々の所属するこの社会は、この問題に決着をつけて、次のステージに進んだほうがいいように思う。

分割することによって、コミュニケーション能力は理解可能なものになる。相手の言いたいことを理解する能力。言葉でもそう、文字でもそう。彼、彼女は何を伝えようとしているのか。これを理解することはコミュニケーションの出発点である。まずは相手の意図を理解しないことには、コミュニケーションは始まらない。

ただ理解するだけでは不十分。現代は、特に高学歴層に、「相手の言いたいことは理解できるが、コミュニケーション能力は不足している」という人材が溢れている。彼らに足らないのは、「伝える力」。彼らは、この能力の重要性を伝えられぬまま、ひたすら勉強に邁進してきた。

「言われたことを理解し、実行する能力」。社会人にとって非常に重要に思えるこの能力で何が足らないかと言えば、ひとえに「相手がその人のことを理解できない」ということに尽きる。我々はコミュニケーションを欲している。すわなち、一方通行を忌避しているのである。相手も貴方のことを理解したい(そのほうが仕事は円滑に進む)。貴方自身の物の考え方を伝える力がないと、徐々に相手は貴方とのコミュニケーションに疲労を感じるようになる(何を考えているか分からないから)。

改めて、身の回りの人物を眺めなおしてみてほしい。コミュニケーション能力が高い(と感じさせる)人は、理解する力と伝える力、この2つの能力を併せ持っているはずである。

さて、ここらへんで2つ目。コミュニケーション能力<事務能力の話。

コミュニケーション能力一辺倒に見えるこの社会で、新卒は、当然コミュニケーション能力を磨くことに邁進してきた。そして会社に入って3年、4年経って、彼らは気付くはずである。「コミュニケーション能力だけでは、会社では通用しない」ということを。

人と接する力はとてつもなく重要なものであり、確かに現代社会はその能力なしに渡り歩くことは難しい。ただ、それは必要条件であって十分条件ではない。仕事とはすなわち、「やるべきことをやりぬくこと」である。本稿では、この能力を事務能力と呼ぶ。

コミュニケーション能力≠万能という事実を認めることが肝要。コミュニケーション能力>事務能力で偉くなれる事例があったら是非教えてほしい。上に立つ人間はおしなべて事務能力に長けている。貴方の周りに、事務能力には不安があるが、コミュニケーション能力が非常に優秀で、その結果人の上に立っている人がいるならば、その人がその先もそのような地位において安泰に見えるかどうかを教えてほしい。

やるべきことをやる力。約束を履行する力。私はそろそろ、社会が要求する能力とやらがこちらを重視する世の中になってほしいと思う。それはそれで歪なところはあるだろうが、コミュニケーション能力一辺倒よりは、例えば大学生が努力しやすい社会になるのではないか。

コミュニケーション能力≠万能という構造が伝えられれば、本稿の目的は達成される。

僕が子どもたちに伝えたいこと

facebookに書いたものを転載します。最近はfacebookに書くことが多いです。】

さて,眠れない夜にちょっと大事なことを書いてみようと思います。

濱野さんと出会ったのは2001年の春でした。僕は高校卒業後,4年間の空白期間を経て,立命館大学に入学しました。全然勉強してなくて,4年目の春に偏差値30ぐらいだった僕を大学に入学させてくれたのは西條剛央さんという人で,僕はこの人にいくら感謝してもしきれません。

とはいえ人間関係というのは難しいもので,その後色々あって僕とこの方は決して今良好な関係とは言えませんが,それはあくまで主観的なものであり,客観的に見て僕はこの方に頭が上がりません。

それはともかく,僕は立命館大学に入りました。大学に入ったときまず念頭に置いたのは,西條さんの,「やりたいことは一通り経験しろ」という言葉でした。大学はそういう場所だと。僕はその言葉に従い,4浪だからと言って遠慮することなく,サークルもバイトも恋愛も,極力積極的に行動しようと心がけていました。

そんな中で出会ったのがclefというアカペラサークルでした。アカペラのことは何も知りませんでしたが,当時clefにはFunky 2001というバンドがあって,その演奏を見た僕は衝撃を受けました。僕はそれまでライブというのをほとんど見たことがなかったので,ライブ会場で味わえるような,体の芯まで響くような音と感動をそのとき初めて味わったんです。それで,clefに入ろうとその場で決意しました。

clefの新入生歓迎企画で出会ったのが,濱野さんでした。

新入生歓迎企画は,とりあえず適当にグループを組んで,課題曲を披露するというものでした。そのときに僕は濱野さんとグループを組みました。6人で組んだそのグループは何となく仲良くなって,実際にバンドとして活動していこうということになりました。後に僕らはそのバンドをeffortと名付けました。理由は特になくて,語呂で決めました。

effortはすごい何度も揉めましたが,それなりに前進していきました。そんな中で,僕と濱野さんの距離は近くなっていたんだろうと思います。いつの間にか彼女は僕の家によく来るようになって,僕らは恋人と言えるような関係性になっていきました。実は,そういう言葉をどちらかが言うということはありませんでした。本来僕が言うべきなんでしょうけど,僕はそういうのが苦手でした。

なんとなく,いつの間にか,僕らは恋人になっていきました。

濱野さんはすごい堅実な人で,在学中にしっかりといくつかの資格をとって,僕らの時代は氷河期と言われたにもかかわらず,一部上場企業に就職を決めました。彼女が就活をしているとき,僕は既に留年が決まっていて,大変だなあとか思っていました。

彼女は就職して,京田辺というところで働き始めました。僕は相変わらず立命館大学のある衣笠というところで,アカペラばかりしていました。この間彼女は京田辺から僕の家まで通っていました。片道1時間半ぐらいです。僕は当時助かるなあぐらいに思っていましたが,彼女はすごく大変だったのに,僕がアカペラばかりやっていることにそれなりに不満だったそうです。当然だと思います。

5回生のときに,僕は大学院に行くことにしました。就職できる気もしなかったので。前述の西條さんが早稲田の大学院に行っていて,「耕平も来ないか」と誘ってくれました。僕は渡りに船と,大学院進学の勉強を始めました。西條さんの指導力というのは大したもので,僕は大学院に合格しました。

なのに,結局5回生の冬に,僕は中国語の単位が取れず,2度目の留年をすることになりました。そのことを告げた電話で母は泣いていました。気丈で明るい母が僕の前で僕のことで泣いたのはあれが今のところ最初で最後で,僕はそこでようやく罪悪感を持つに至りました。

この件については濱野さんも思うところはあったのだろうと思いますが,彼女がそのことで僕に何か不満を漏らしたという記憶はありません。淡々と過ごしてくれた,そのことはすごいことだと思います。

僕はその後6回生の秋に卒業し,2度目の試験を経て目指す早稲田の大学院に入学することができました。早稲田大学人間科学部は埼玉県にあったので,僕と濱野さんは遠距離恋愛をすることになりました。僕はそのことに不安は感じつつも,自分の将来のことのほうが大事だったので,わりと気楽に埼玉の実家に戻りました。埼玉の実家から,大学は通えるところにあったからです。僕が埼玉に行く日の前日,そういえば濱野さんは号泣していました。

大学院での生活は楽しかったです。僕は自分が頭がいいのか悪いのかよく分かりませんでしたが,とりあえず大学院の議論にはついていくことができました。それなりに重要な仕事もやらせてもらっていたように思います。アカペラサークルは楽しかったけど僕はあまり歌が上手ではなかったので,そのころに比べると,僕は居場所を感じながら生活をしてしました。

修士課程の2年間で,僕は東京と大阪を10往復ぐらいしたと思います。基本的にバイトはそのためにやっていました。濱野さんとはほぼ毎日電話をしていましたが,電話と会うこととはやはり全然別です。僕らはたまに会ってお互いの寂しさを充電して,その後の生活を頑張るという日々を送っていました。

修士課程の2年目,僕は修士論文というのを書かないといけなくなりました。これを書かないと修士課程を卒業できず,博士課程にも進めないのです。院でそれなりに楽しくやれていた僕は,大学で働こうと考えていました。そのためには,博士課程に進み,博士号を取らないといけなかったのです。

でも僕は基本的なトレーニングをほとんど受けていなかったし,勉強量も浅かったので,修士論文を出す年の10月ぐらいから,指導教授の態度が目に見えて変わっていきました。「勉強不足」「もっと考えろ」「そんなんで博士課程に行く気なのか」。ゼミで発表するたびに叩かれるという日々が始まりました。あれだけ仲良くしていた先輩方が全員敵に見え始めました。

教授の言っていることは意味が分からない。先輩に相談しても埒が明かない。そんな中で,僕は不満を濱野さんにぶつけるようになりました。研究の合間に濱野さんに電話して,愚痴をぶつける日々が続きました。

ある日濱野さんは,「これ以上研究の話とかしたくない。これ以上愚痴ばっかり言うなら別れたい」と言いました。

僕はその途端目の前が真っ暗になりました。濱野さんをそれだけ苦しめていることに僕は気付いていませんでした。その時僕は,このままいけば,研究と濱野さん,自分の人生のよりどころにしていた2つの大事なものを一気に失うということを自覚しました。もし本当に両方失ったら,自分は自殺するかもしれないと本気で思いました。

4浪して2留している自分はまともな就職なんかできるわけがない。こうなったら大学教員になるしかない。僕は本気でそう思っていました。そして,濱野さんはいつの間にか僕の心の大半を占める存在になっていました。同時に,いて当たり前の存在になってしまっていました。両方失ったら自分はどうなるんだろう。何も残らないんじゃないか。

結局僕は修士論文を提出することができ,綱渡りではありましたが,博士課程に進むことができました。そして濱野さんとも別れずに済みました。でもこの頃から考え方が少し変わってきたと思います。自分の人生の目標は,大学の教員になることではなくて,濱野さんと一緒に暮らすことなんじゃないかと思うようになりました。

そんな話をある院の先輩に話したら,「大学の教員になるために結婚諦めた人はいっぱいいるよ―」と言われました。その言葉をそのまま信じたわけではないですが,僕は徐々に,自分が就職する先は大学ではないかもしれないと思うようになっていきました。

博士課程の1年目に,僕のそういう思いと,修士論文提出直前の指導教授との思い出したくないやりとりへの不満は日々強くなっていって,僕は早稲田大学を出ようと思うようになりました。ただ,まだ大学教員への道は諦めたくなかったので,他の大学で,他の教授に指導を受けながら大学教員への道を探ろうと思うようになりました。

ちょうどその頃,僕が以前からよく読んで,興味を持っていた論文を書かれていた,京都大学の大倉得史先生が,京都大学で講師になられて,研究室を持つことが分かりました。僕はそれを聞いて,大倉先生の下でお世話になれないかと考えるようになりました。大倉先生なら研究の関心もすごい近いし,場所は関西で,濱野さんと一緒に暮らせるので,一石二鳥じゃないかと思いました。

話はとんとん拍子に進み,僕は大倉先生の研究室に通えることになりました。そして,大阪で濱野さんと一緒に暮らすようになりました。

大阪で暮らすにあたって,僕はバイトを探しました。そして東京個別指導学院(以下TKG)に出会いました。当時TKGの茨木教室で室長をしていた永守さんという人が僕を雇ってくれたので,僕はTKGでバイトとして働きながら,京都大学に通うという生活を始めました。

結果的に,この生活はひどく楽しかったです。大倉先生の研究上の関心は本当に僕と近くて,僕はゼミの間,こんなに気楽に発言できるものなのかと驚きました。早稲田では,とかく教授の顔色を伺う日々でした。

また,TKGでの講師生活も,発見の連続でした。僕がそれまでの人生で感じてきたのは,「日本の教育は,生徒が先生に合わせている」ということでした。日本の教育において,生徒は自分のやりたいことよりも,今自分が何をしないといけないのかばかりを気にしていると僕は感じていました。

しかしTKGの教育理念は,生徒に先生が合わせるというものでした。TKGの先生は常に生徒と語り,生徒の目的を理解し,それを達成するにはどうしたらいいかを模索していました。それは僕の理想に近い教育だったのです。

TKGで講師を初めて1年目の冬に,僕は永守さんに,大学院を辞めて就職を探そうと思っているということを打ち明けました。できたらTKGみたいな教育ができるところがいいという話をしたら,「じゃあ,私が推薦してあげるから,TKGを受けてみたら」と言っていただきました。

その年,就職はリーマンショックなどの影響でまた氷河期となっており,TKGには1000人近くの応募があったようです。そんな中でしたが僕は6次までの面接を無事クリアし,TKGの内定をいただくことができました。僕と同時期に内定を取れたのは結局12人でした。去年の春のことです。

就職を決めた僕がやりたかったこと。それは,濱野さんと結婚することでした。どうしようもない僕にずっとついてきてくれた濱野さんに,とりあえずひとつ恩返しできるのは,結婚するということでした。同時に,彼女のような人と結婚できるということは,僕にとっては身に余る光栄なことでした。

そんな歴史を経て,2012年11月10日に,京都の吉田神社というところで,僕と濱野さんは結婚することになりました。披露宴は親族のみで,御幸町仏光寺のキャメロンというレストランで行います。

披露宴は親族だけなのでお誘いすることはできませんが,吉田神社での式は外で挙げるので,見るだけなら可能みたいです。もしその時期に京都の京大近くをうろうろする用事があったら,良かったらちょっとのぞきにきてやってください。

ある時期,僕はもしかしたら普通の人が得られるような幸せは得られないんじゃないかと思っていました。自分はコミュニケーション能力が不足しているし,空気も読めない。人に自慢できるような才能もない。もしかしたら自分はずっと日陰で生きていくのかもしれない。そんなことを感じていた時期がありました。

そんな僕でも,結果的には,それなりに自分に自信を持てるようになったし,就職先もあるし,濱野さんのような素晴らしい女性と結婚することができるし,もしかしたら子どもを授かることができるかもしれないということは,僕が教育をやっていく中で生徒に伝えたいことなのだろうと思います。

最近の子どもは夢がないと言いますが,この時代に生きた僕の実感として,僕らの夢は,「幸せに生きること」であり,幸せは人それぞれなのです。プロ野球選手になることや総理大臣になることが幸せという人もいれば,仕事があって,家族がいて。それだけで幸せという人もいるということです。それがまさに「目的に沿う」ということであって,僕はこれからもそういうスタンスで人と接していきたいと思います。

それはともかく,この記事の主目的は「僕は濱野さんと2012年11月10日に結婚します」ということでした。良かったら,祝福してください。ようやく僕は,他人の祝福を期待できる程度には,自分に自信を持って生きていけるようになりました。こうなるまでの過程に,僕と濱野さんに温かな視線を注いでくださった皆様に心から感謝いたします。

内田先生の教育論にはもうついていけない

教育と効率は本質的になじまない。というのは、効率というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、教育がそのアウトカムを計測するときの時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないからである。
もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)教育のアウトカムを考量することもできないことではない。
けれども、そこではじき出された数値は、教育を受ける本人にとっても教育機関にとっても、実は何の意味も持っていない。

以前からこの方の教育論には懐疑的なスタンスを取ってきましたが、このエントリを見て確信しました。僕はこの方の教育観には馴染みません。この方の言っていることは「ある教育を行って、それに効果があったかどうかは、すぐに分かるものではないし、いつ分かるのかも分からない」ということです。これはもはや、「教育の効果を判断することはできない」ということであって、極端に言えば、「何をどう教育しようが、その良し悪しは判断できない」と言っているのと同じです。

人がこういう考え方になるのはどういうときか。それは、自分の生徒が、思ったような結果を出してくれないときです。そういうとき、人は、「生徒が結果を出さなかったからと言って、自分の教育が悪かったわけではない」と自分を慰めようとします。内田先生もそういう経験をされてきたのかもしれない。

内田先生の言っていることはある程度事実です。教育の効果をどこで測るかということを決めることは難しい。でも、多くの教育者が、そういう状況で歯を食いしばりながら、何とか目に見える結果を出そうと努力しています。そんな中で、内田先生は、たとえば自分の教え子が研究者になれなかったとしても、あるいは就職に失敗したとしても、「長い目で見れば自分の教育はこの生徒にとって意味があるはず」というスタンスを取るのだろうと思います。僕は、そういう考え方の人に教育を受けることは避けたいと思います。

書評:西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』

西條剛央『人を助けるすんごい仕組み ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか』を読みました。筆者の西條さんは僕の大学受験のときの家庭教師で,その後も色々とお世話になった方です。なのでこの方の著書に対して僕にはものすごいバイアスがかかっています。

基本的に西條さんの本は全部読んでます。ただこの人の本は難しい。僕も知り合いじゃなかったら読んでないと思います。西條さんの本は僕にとってスルメみたいな感じで,読めば読むほど味が出てくるけど,噛まずに飲み込むのはきついという感じ。恐らく多くの著作が流し読んだら意味が分からないという類のものなので,知り合いに気軽に勧められるタイプの本ではありませんでした。

ちなみに西條さんの著作はこんな感じ。


 『母子間の抱きの人間科学的研究―ダイナミック・システムズ・アプローチの適用』北大路書房 2004年:西條さんは大学院では発達心理学を研究していました。その研究をまとめたものがこちら。博士論文が下敷きになっています。


 『構造構成主義とは何か―次世代人間科学の原理』北大路書房 2005年:発達心理学を研究しながら,西條さんは新たな心理学を行うためのツールとして「構造構成主義」を提唱しました。これをまとめたものがこちら。西條さんの代表作だと思います。入魂の一冊。


 『構造構成的発達研究法の理論と実践―縦断研究法の体系化に向けて』 北大路書房 2005年:構造構成主義を用いて発達研究をやったらこうなるという本。構造構成主義は従来にない発想の研究法なので,提唱者自身がその具体的な使い方を示しておく必要があるという目的に基づいて書かれた本だと思います。


 『科学の剣 哲学の魔法―対談 構造主義科学論から構造構成主義への継承』(池田清彦西條剛央 著)北大路書房 2006年:西條さんとその師匠である池田清彦さんの対談本。


 『構造構成主義の展開 21世紀の思想のあり方』(西條剛央、京極真、池田清彦 編)至文堂(現代のエスプリ)2007年:『現代のエスプリ』で構造構成主義特集が組まれました。


 『エマージェンス人間科学 理論・方法・実践とその間から』(西條剛央、菅村玄二、斎藤清二、京極真、荒川歩、松嶋秀明、黒須正明、無藤隆、荘島宏二郎、山森光陽、鈴木平、岡本拡子、清水武 編)北大路書房 2007年:西條さんは在学中「次世代人間科学研究会」という研究会を立ち上げて,新たな人間科学のありようを探っていました。そのメンバーでまとめた本。


 『現代思想のレボリューションー構造構成主義研究1』(西條剛央、京極真、池田清彦 編)北大路書房 2007年:構造構成主義を基軸とした学術誌を発行。その1冊目です。


 『ライブ講義・質的研究とは何か SCQRMベーシック編―研究の着想からデータ収集,分析,モデル構築まで』新曜社 2007年:近年心理学の世界では「質的心理学」という,要するに数字よりも言葉を重視した新たな心理学が注目されています。構造構成主義はこの質的心理学の理論的基盤となりうるという観点から,西條さんが「構造構成的質的研究法Structure-Construction Qualitative Research Method」について書いた本。対話形式になっていて読みやすいです。


 『ライブ講義・質的研究とは何か SCQRMアドバンス編―研究発表から論文執筆,評価,新次元の研究法まで』新曜社 2008年:上の本の続き。上がベーシック編で入門レベル,こっちがアドバンス編で発展レベルです。


 『信念対立の克服をどう考えるか―構造構成主義研究2』(西條剛央、京極真、池田清彦 編)北大路書房 2008年:構造構成主義研究の第二巻。


 『JNNスペシャル 看護研究で迷わないための超入門講座 ――研究以前のモンダイ』医学書院 2009年:構造構成主義は看護領域で(恐らく特に人間を数値化して研究するのに適していない領域)で注目されたので,そちら向けに構造構成主義をまとめた本。図がいっぱいで見やすい本です。看護でなくても,構造構成主義を理解して自身の研究や実践に活かしたい人にもおすすめ。


 『なぜいま医療でメタ理論なのか――構造構成主義研究3』(西條剛央、京極真、池田清彦 編)北大路書房 2009年:構造構成主義研究の第三巻です。


 『ぼくもだっこ』(絵本)講談社 2009年:発達心理学者として母子間の抱きを研究してきたことを踏まえて書かれた絵本です。


 『持続可能な社会をどう構想するか――構造構成主義研究4』(西條剛央、京極真、池田清彦 編)北大路書房 2010年:構造構成主義研究の第四巻です。

西條さんの著作はこんな感じなので(絵本とかもありますが),今回の本には期待していました。西條さんは構造構成主義を分かりやすく説明するということに結構尽力していて,上の著作で言うと『ライブ講義・質的研究とは何か SCQRMベーシック編―研究の着想からデータ収集,分析,モデル構築まで』,『ライブ講義・質的研究とは何か SCQRMアドバンス編―研究発表から論文執筆,評価,新次元の研究法まで』,『JNNスペシャル 看護研究で迷わないための超入門講座 ――研究以前のモンダイ』あたりはそのことをかなり意識して書かれた本なんですが,それでもまだ難しい。

というか,「研究」というものを相当真剣にやっている人でないと,構造構成主義というものはなかなか理解できないものなのではないかと思います。ただ西條さんはそういう現状をよしとしていなくて(構造構成主義が単なる研究法としてみなされる現状),もっと多くの人にこの考え方を知ってほしいと思っていたのではないかと思います。

そんな中,あの震災が起きました。東北出身の西條さんはあの震災でおじさんを亡くされました。西條さんは現地を見に行って,そのときに自分が今までやってきたこととこれからやるべきことがつながったのではないかと思います。それは,学問の領域でやってきた構造構成主義を,自分自身が実践で活用するということでした。

そして西條さんは「ふんばろう東日本」というボランティア団体を立ち上げ,この運営について構造構成主義を導入しました。結果,構造構成主義は実践においても機能し,「ふんばろう」は現時点で日本最大級のボランティア団体となり,震災支援に効果を発揮したので,いくつかの方面から注目されるに至りました。それを踏まえ,今回の一連の営みを書籍化したのがこの本ということになります。

僕はこの本が出る前から,西條さんの活動をネットで見ていたし,今回の活動を,西條さん個人の中で理論(構造構成主義)を実践(ふんばろう東日本)につなぐものであったのだろうと見てきました(勿論同時に,ただひたすら震災支援を行うというものでもあったわけですが)。

僕は大学で理屈は立派だけど何も生み出さないような研究者を大勢見てきたこともあり,理論と実践ということで言うとどちらかというと実践よりの発想を持っています。ただ,僕自身も研究というものを行ってきたし,その魅力もある程度理解しているつもりなので,理論は理論で有効に活用しうるものという希望を持っています。だから,学会で一目置かれるレベルの論客である西條さんが自身の理論を踏まえて実践を行い,それが成果を挙げたということについて,素朴に素晴らしいことだと思います。

僕はそんな背景を持ってこの本を読みました。ここからが書評です。

あ,もうひとつだけ。今「書評」と書きましたがこの言葉にちょっと抵抗があったりします。西條さんは今回ひたすら支援を行ってきたし,それは純粋にすごいことだと思います。僕は西條さんの活動を見ながら,動けていない自分に何かしら後ろめたい思いを持ちながら過ごしてきました。

なので,この本についてあーだこーだ言うことに違和感があるというのも事実です。結果として被災者のためになったのだからそれでいいじゃないかと思いますし,西條さんはこの本を「チャリティーブック」と位置付けているので,僕がこの本を買ってそのお金が少しでも支援になるのであれば内容なんかどうでもいいというような気もします。

だからここからは基本的には自己満足です。この本を僕は上記のような背景とともにかなり興味深く読んだので,そのことを記述しておきたいと思いました。その点が一番大きいです。あとは,自分が気付いたことを誰かと共有したかったということ。加えて,できれば,この書評を見てこの本に興味を持つ人が出たらいいなとも思います。

で,感想なんですが,西條さんの一連の著作の中では明らかに一番読みやすかったです。すいすい読めました。素直に面白いとも思いました。

ただ,おそらく読みやすいだけに(あとは多分,急いで書いただけに),厳密性ではこれまでの著作の中では一番下かなとは思います。読み物としては面白いが理屈としては弱いかなという印象(というか確信)は持ちました。実践というのはそういうものなのだろうとは思いつつ。

アマゾンの書評を見ると概ね好評価なのでAmazon.co.jp:カスタマーレビュー: 人を助けるすんごい仕組み――ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか,まあこれはこれでいいのかなとも思いますが,僕としては手放しで面白いとは思わなかったということは書いておこうかと思います。

正直アマゾンの好評価が僕にとっては「?」なものだったので(恐らく本単体ではなく,一連の出来事との関連で評価がされているのかなと思います),ネットでちょっと反対意見を探したら以下のようなサイトに出会いました。

書評(Ⅰ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』
http://ameblo.jp/satokenichilab/entry-11180165300.html#main

書評(Ⅱ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』
http://ameblo.jp/satokenichilab/entry-11180169615.html#main

書評(Ⅲ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』
http://ameblo.jp/satokenichilab/entry-11180171956.html#main

僕はこの書評はかなり妥当なものであると思いました(そんな言い方しないでもという箇所は散見されましたが)。この方のスタンスは以下の引用に端的に表れていると思います。


以上、著者の論点をとりあげて批判をしてきたが、次の点については誤解を招かないよう、再度強調をしておきたい。


震災直後から現在に至るまで、「ふんばろう」の支援によって救済された被災者が多数いたことはまぎれもない事実である。このことを否定することは決してしない。これを確認した上で、「ふんばろう」が支援活動から逸脱している論点(国際的モデルとしての提言、組織論の普遍性の主張、など)について評者は批評をしたのである。


一つの成功事例のみで被災者支援モデルを構築しようとすること、これは組織論のみを前面に押し出し、他の団体組織の活動や支援論をほとんど参照しない独善的・内向的な「ふんばろう」の態度と連動しているが、これらの点を批判の対象としたのである。


最後に、一言しておきたい点は、著者が徹頭徹尾、自らの「素人」性を免罪符としてボランティアの現場に口を差し挟もうとする態度である。


素人ならば、先達から学べばよい。


学ぶ態度を放棄し、自説を検証もせずに吹聴するような振舞には、同じ研究者として評者は深い失望を覚えるのである。かくいう評者も、ボランティアや支援論に関しては著者同様、素人であることを隠しもしない。むしろ、本書の批判を素人がするのは好ましいことだろうとすら考えている。素人同士の議論で片が付く話ならば、わざわざ多忙な専門家にご登場を頂く必要もないからである。


本書の著者は余計なことを書かずに、一連の活動報告のみに留めるべきであった。

言い方はともかく,概ね同感です。この本は,あくまで西條さんの自伝であり,一般化可能性は弱いように思います。端的に言えば,「この本を読んで西條さんの真似をしようと思っても無理」ということです。僕は最近ある集団でリーダーを任されたので,その参考にしようという意図も持ちつつ読みましたが,ちょっと参考にはしづらいと感じました。何というか,これは西條さんの職人芸です(実践なんだからそれでいいんですが)。

恐らく「急いで書いた」というのはかなり大きいのかなと思うので,今後西條さんがじっくり自身の実践を振り返れば,西條さんの言う「構造化に至る軌跡」はかなり厳密に言語化され,応用可能性も開かれたものになるのだろうと思いますが,この本は,やはりチャリティとして接したほうが無難かなと思います。実践者としての西條さんのことはただひたすら応援していきますし,僕にできることはできるだけやっていきたいと思いますが,理論家としての西條さんについては,次回に期待という印象です。

光市の事件について無関係の人間だけどできるだけ考えてみることには意味があると思う

何か知らんが今日は一日中光市の件を考えてました。考えてどうなるもんでもないですが,何と言うか,この問題について(この問題に限らず)「自分たちが考えてもしょうがない」という発想が人を傷つけることがあるというのを最近すごく思うのです。

たとえば今僕の所属している塾では「やる気のある人」がすごく苦しんでいます。あらゆる締め切りが守られていない。締め切りを守らない側からしたら自分1人の問題ですが,まとめる側からしたらそれらが10,20と積み重なって襲ってきます。これについてはもう何回も何回も終礼やらMLやらで警告してきましたがなかなか改善されません。

僕は基本的に「守らないなら守らざるをえない仕組みにすればいい」と思っていて,たとえば誰が提出していないかを可視化したり,声かけしたりということで乗り越えてきましたが,もうすぐ僕もこの塾からはいなくなるので,今回は何もせずにいたら結局元通りになりました。つまり,「そのうち誰かが何か言ってくるだろうから,それまで何もしないでいいや」という感覚が生じしてしまっていたということです。

問題意識を持っている人が,持っていない人に苦しめられる。僕は最近そういうことを痛感したので,たとえばそれは今回の本村さんの件に類推的に応用できるわけです。彼が戦ってきたのは,「深く考えずに文句を言う人たち」だったのだろうと思います。

同時に,被告少年の元弁護士だった今枝仁さんのコメントを読むと,こちらも「深く考えずに文句を言う人たち」が弁護人たちを苦しめていることがよく分かります。弁護団の主張を「死刑制度反対運動」と決め付け,今枝さんのもとには山のような非難・脅迫のメール,手紙が届いたそうです。

こういうことを踏まえて,僕は折角興味を持ったこの問題について「考える」ことにしました。考えれば考えるほど,読めば読むほど,一部マスコミやネットで流されているような単純なストーリーを信じるわけにはいかないと感じるようになりました。「両手で首を絞められた」はずの被害女性の首には片手の跡しかなく,「床に叩きつけられた」はずの被害児の頭部は骨折していなかったそうです(ここらへんは弁護団の主張を読んだだけなので,事実かどうかの確認はできていません)。

判決は出ました。これは覆りません。そして,僕個人の主観としては,ほっとしたというのが正直なところです。本村さんの12年間を思うと,いつも寒気がします。ただそれはそれとして,考えるべきことは少なからずあるんじゃないかと思います。たとえば少年法の是非であるとか,死刑制度の是非であるとか。しばらくは資料を読んで,自分なりに考えてみようと思います。本村さんの,「13年間という事件発生から長い時間が経過したのにもかかわらず、これだけたくさん報道していただき、社会の皆さんが関心を持っていただいたことに感謝している」という言葉はとてつもなく重いと思います。

【光市母子殺害 本村さん会見詳報(上)】
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120220/trl12022021320017-n1.htm

光市事件Q&A(弁護団への疑問に答える)
http://wiki.livedoor.jp/keiben/d/%b8%f7%bb%d4%bb%f6%b7%ef%a3%d1%a1%f5%a3%c1%a1%ca%ca%db%b8%ee%c3%c4%a4%d8%a4%ce%b5%bf%cc%e4%a4%cb%c5%fa%a4%a8%a4%eb%a1%cb

今枝仁弁護士のコメントの転載(さらに追加あり)
http://www.yabelab.net/blog/2007/09/09-231959.php

「居場所がない人」に注目する意味

僕は集団において居場所がない人に目を向けるべきだと思っている。それはなぜか。「みんな仲良く」というのもひとつの理由ではあるが,最近もうひとつあるなと思うようになってきた。それは,「居場所がない人は集団の足を引っ張り始める」からである。

あくまで「そういうこともある」という話で聞いておいてほしい。居場所がない人は,僕のモデルに即して考えれば,「欲求」と「要求」にズレが生じている人である。通常どういう人がこのズレを生じさせてしまうかといえば,「その集団で評価される能力を持てていない人」である。すなわち,そのような人の欲求は「この集団に所属していたい,あるいはこの集団でもっと輝きたい」というものであるのに対し,その人はその集団で重視される能力を持っていないので,徐々に居心地が悪くなる。

さて,しかし,このような人は「その集団で重視される能力」とやらを持ち合わせていなかったというだけで,他の集団であれば輝ける能力を持っていたりする。なので,当人の自己評価はそう簡単には揺らがない。なぜなら「他では評価されている」からである。当然の帰結として,そのような人は居場所を失った集団に対して不快感を持つようになる。「自分を認めないあいつらがおかしい」と思うようになる。

その人はその集団が重視する能力を持っていないので,そうそう影響があるわけではないのだが,その集団における「ガン」のような形で現象としては存在し続けることになる。「全員で何かがしたい」というような場合,そういう人は間違いなく非協力的になるので,たとえば「○月○日までに全員返事してください」というようなアンケートを送った際,必ず締め切りは守られない。アンケートの送り主はそのことで苦労するわけだが,居場所を失った人は,悪い言い方をすれば「ざまあみろ」と思っていたりする。

居場所を失った人は,外部に対してその集団の悪口ばかり言うようになる。外部の人は内部をよく知らないので,その人の言うことを信じる。その人は能力が低いわけではなく,たまたまその集団では居場所を得られなかったという人なので,外部では受けが良かったりする。このように,居場所を失った人は,「ガン」のように,その集団を侵食していく。

ある人が居場所を失うのは,もちろんその人自身に責任がある場合もあるが,経験上,他の人々の無自覚がその人を苦しめているという場合が多い。その人は居場所を失うまでは一所懸命集団のために頑張ってきたのに,周りがそのことに無頓着で,徐々にその人の不満はたまっていく。「ありがとう」の一言がその人を救う場合があるのに,そのような声かけがなされないまま,その人がそのように働くのが当たり前のことになっていく。そしてある日その人の不満は爆発するのである。

僕が居場所がない人に目を向けるべきというのはそういうことであり,居場所がない人に目を向けることによって自分たちが所属する集団の問題点に気づくことができる。また,できるだけ居場所がない人を減らすことが,結局その集団を維持させることになる。

対案を示さないでいいのは、問題が共有されていない場合のみ。

要するに、特に改革の必要性にせまられていないのに現状を悪くするような案を出してきたら、「そんなものはいらない。元に戻せ、引っ込めろ」で十分なのです。対案など出す必要はありません、だってすべきことは粗悪な案をだしてきた側が「原状回復」することなのですから。

個人的に橋下さんの「対案を出せ」論法は正しいと思っているので、「対案を出せ論法はおかしい」という意見には非常に興味があるのですが、「なるほど」と思ったことはまだ一度もありません。今日も残念ながら。

論文というものは通常以下のように構成されています。

1、問題
2、目的
3、方法
4、結果
5、考察

これは「最強の型」と呼ばれています。何かを議論しようとする際、最も説得力があるのがこの形式であるということです。

今回の橋下さんの件で言うと、

1、問題:大阪府大阪市の二重行政
2、目的:大阪府大阪市の二重行政の解消
3、方法:大阪都構想
4、結果
5、考察

ということになりますよね。この場合、「問題」および「目的」が共有されているならば、「方法」を批判する場合は対案を提示する必要があります。要するに、「じゃあどうすれば二重行政は解消できるのか」という話です。そりゃ、提案した側は誰だってそう言いたくなります。

このケースで、「対案なんか示さないでいい」と言うには、「それは問題ではない」という必要があります。つまり、「問題が共有されていない」という点を主張する必要がある。基本的には、それ以外のケースでは、対案を示す必要があります(問題と目的がずれているというような場合もありますが)。

まあ多分「対案なんか示さないでいい」派の人たちが文句言いたいのは大阪都構想よりも教育基本条例のほうだと思うし、僕も確かにこちらについては「問題」がそれほど理解できていないので、こちらに対する批判は実を結ぶ可能性があると思います。なので、「大阪府の教育改革なんてする必要はない」という議論を期待したいところです。

多分「対案を示せ」と言われてみんなが困るのは、「対案を示す必要がある」と思っているからです。なぜそう思うかというと、みんな問題だと思っているからです。大阪が現状維持でいいはずがないと思っているからです。

ただし、大阪の教育はどのように問題なのかということについては、僕はまだ橋下さんの口から納得いく説明を聞いていないと思っています。グローバル化というのもよく分からないし、そもそも子どもの相対評価が駄目ならまずはそこを絶対評価にしてほしいと心から思います。