人はどんなとき「偉そう」になるのか

なんで経済学者、特に日本の経済学者が偉そうなのかといえば、理由は単純。

自分の理論を、実証する人がいないから。

うわー,これはあるかもしれない。漠然と考えてたことですが,すごく乱暴に「理論」と「実践」に分けたとき,その人の立ち位置が理論の側であればあるほど偉そうで,実践の側であればあるほど謙虚であるような気がします。勿論例外あり。全体傾向として,あるいは平均値としての話です。

このアイデアは,確か内田樹さんが,教育論者が偉そうなのは,その理論の実証に20年ぐらいかかるから言いっぱなしでも怒られないからみたいなことを仰っておられたときに着想を得ました。今回の話と構造は同じなのではないでしょうか。 岡田斗司夫さんも科学者は大抵鼻持ちならない態度になると公言しておられますね。そういう人がいてもいいと思います。

でね,なんでそういう傾向が出るかというと,僕は,「正しさ」という概念に原因があると思うのですよ。何か正しいものがあると考えている人と,正しいものとやらは疑ってかからないといけないと思っている人。前者はすべての人間をこの「正しさ」の下で評価しますから,その基準にかなっている人に対しては寛容ですが,そこから外れる発言をする人には辛辣です。池田信夫さんみたいな,「まったく話にならない」みたいな言い方になってくる。

一方,実践家の人たちは,世の中が理論通りにいかないことをよくご存知なので,正しさとやらを常に疑ってかかる。目の前の人間が理論的にはありえないようなことを言っているとしても,人間の社会においては,それでうまくいくこともありうるということを知っている。だから少し謙虚にならざるをえないと。ただし,なんらかの構造が出来上がっていて,そのルール通りやっていればうまくいくというような立場の実践家は偉そうになるでしょうね。大企業とかそういうこともありそうだ。

僕がものを考え始めるようになって,最初に面白いと思ったのがこの「正しさ」に関する議論でして,今のところ仮説を撤回せざるをえないような理論には出会ってません。ところで,最近,研究とは真理を追究する営みであるという話を改めて聞きました。そういえばそうだったような気もする。でも,真理とやらは衝突を生むんだろうと思います。研究が真理を追究する営みであり続ける限り,僕の「正しさ」に関する考えとは矛盾してしまうんですよね。ここ少し困ってます。